メンターインタビュー:ミチコさん
悩みごとやモヤモヤすること、不安に思うことをインターネットで気軽に相談ができる「TOKYOメンターカフェ」。仕事や子育てなどを経験してきた方が、都民メンター(助言者)となって多様な悩みに寄り添い、悩みを抱えて次の一歩を踏み出せずにいる女性を支援します。
今回は、都民メンターの1人である、ミチコさん(60代)に、ご自身が経験してきた悩みやメンターとしての活動を振り返っていただきました。
なぜメンターになられたのでしょうか?
夫が東京オリンピック・パラリンピックのボランティアをしていて、とても楽しそうに活動している姿を見ていました。私自身、リウマチの持病があるので、なかなか肉体的なボランティアは難しいかなと思っているなか、インターネットで「TOKYOメンターカフェ」のメンター募集のページを見かけて、応募してみました。
仕事と両立した義母の介護に「頼られる喜び」も
ミチコさんがこれまで悩んでこられたことを教えてください。
私は短大を出てから、信託銀行に勤めてきました。生まれ育った関西に長らく住んでいたのですが、メーカーに勤める夫の転勤に伴い、夫と義母とともに東京にやってきました。会社が私の勤務地を東京に調整してくれたことで、仕事を辞めずに済みました。45歳のときのことです。
その後、義母が認知症になり、私はフルタイムで仕事をしながら、義母の介護をしてきました。義母はお腹が空いたのか、何かを煮炊きしようと思って鍋に火をかけたけれど、そのことを忘れて別の部屋にいき、鍋を焦がしてしまったり、朝起きて寝巻きから洋服に着替えているのに、デイサービスの人が迎えにくる頃にまた寝巻きに着替えてしまったり……。そんな行動をとることも、よくありました。
一般的に仕事と介護の両立はなかなかハードだと思いますし、当時を振り返ると私も夢中でした。でも悩んでばかりいたわけでもなくて。義母は可愛らしい性格だったので、嫌味を言われることはなかったですし、私自身も「頼られる喜び」を確かに感じていました。「お金で解決できることはお金で解決しよう」と思い、デイサービスやヘルパーさんの協力も得ていました。もしあのとき仕事を辞めて介護に専念していたら、「こんなにやっているのに!」と思う時間が長くなってしまって、義母につらくあたっていたかもしれない。ひとりで抱え込まず、周囲に赤裸々に話をしていたから、そこまで思いつめなかったのでしょうね。
一番の悩みは40歳で発症したリウマチ
私の一番の悩みは、40歳を過ぎたころに発症したリウマチかもしれません。最初に異変を感じたのは、しもやけがなかなか治らなかったこと。手をグーの形にしにくかったり、靴が履きづらかったり。日常生活に支障が出始めたので、病院を複数受診しました。血液検査上は大した異常が見られず、しばらくそれらしい治療をしてもらえませんでした。東京に引っ越して、大学病院で診てもらうと、ようやく「リウマチですから治療をしましょう」と診断されて……。リウマチは一生付き合う病気なのですが、信頼できる医師に出会えたことは幸運でした。
義母を見送り、自分の父を見送り、自分の母を一人関西に残しておくことに気が引けて、57歳で信託銀行を退職。今はリウマチを治療しながら、ときどきケアハウスに入居している母に会いに帰省したり、趣味のヨガ教室に通ったりする日々を過ごしています。
自分を責めず、周りを頼って
ご自身の経験をメンターとしてどう生かしていきたいですか?
私はプロでも専門家でもないですし、何かの正解をお示しすることもできない。その分、ちょっとおしゃべりをする感覚で「TOKYOメンターカフェ 」に参加しています。
「TOKYOメンターカフェ」に寄せられるお悩みを見ていると、「私はダメだ……」と必要以上にご自分を責めている方が多いなという印象があります。皆さんに直接お会いしたことはないですし、励ますというと偉そうに感じるかもしれないですけれど、「そんなはずはないよ」と伝えたいなと思っています。失敗は誰でもしますから。ご自分を責めすぎず、周りに頼ってみてはどうでしょう。きっと助けてくれる人がいると思いますよ。