規約違反の報告はこちら 違反理由※必須 誹謗中傷・差別的な投稿 公序良俗に反する投稿 個人情報の投稿 肖像権・知的財産権を侵害する投稿 わいせつな投稿 営業・営利目的の投稿 その他、悪意のある投稿 該当トピック 該当文章 ご返信ありがとうございます。 文学的、哲学的と言ってくださったことで、ショーペンハウアーを曲解したとニーチェに批判されるフィリップ・マインレンダーという詩人・哲学者のことを思い出しました。彼の遺した著作に強く共感を覚え、このまま読み続けると、彼や、彼に共感した芥川と同じような人生の終え方をすると思い、いったん読むのをやめたのでした。 私が一番初めにこんなふうに考えるようになったのは、小6の時だったかと記憶しています。学校の検診で、ある臓器に異状が指摘され、わからないながら自宅にあった『家庭の医学』で臓器の名前だけを手がかりに調べて、「がん」の文字を見つけ、「あぁ、死ぬのか。じゃあ、いま死のう」と初めての未遂をしました。結局、その異状は人よりちょっとその臓器のチェックをまめにすれば良いという程度のもので、今に至るまでその臓器に問題はありません。ですが、自分が死ぬ可能性があるとわかった時に自分の意志で死のうと思うのが、その後に通ずる何かがあるようには感じています。 その後、10代は死を拠り所にすることで何とか生き延びました。 中学がいま風に言えば超ブラックで、ある同級生をいじめようとする「友達」がいた時に「その子をいじめる理由が私にはないからいじめない」と言って加担しなかったら、担任から呼び出され、事情を話しても「あなたは協調性がないわね。一緒にいじめるのが協調性よ」と言われるのみでした。他の先生に相談しても無駄でした。親に「学校に行きたくない」と言いましたが、それも全否定されました。それにより、人を無条件に信じることができなくなりました。 その後、周りの環境がマシになったこともありましたが、うつを発症してから、多くの人が離れていくのを経験して、他人と関わるのが怖くなりました。怖いと言っても、表面上取り繕うことはできますし、付かず離れずの人間関係はあります。ただ、私が思っていることを話した瞬間に、だいたいの人は離れていくんだろうと思っています。 他人を信じなくても自分を信じられればまだマシなのでしょうが、ある意味自分自身が一番信用ならない存在だと感じるようになっていきました。 その過程を経て、10代の頃は死を拠り所にすることで生き延びたはずが、死に飲み込まれるようになったんだなと分析しています。 その他、自由記入欄 この内容で送信する