メンターインタビュー:nobuさん

悩みごとやモヤモヤすること、不安に思うことをインターネットで気軽に相談ができる「TOKYOメンターカフェ」。仕事や子育てなどを経験してきた方が、都民メンター(助言者)となって多様な悩みに寄り添い、悩みを抱えて次の一歩を踏み出せずにいる女性を支援します。

今回は、都民メンターの1人である、nobuさん(60代)に、ご自身が経験してきた悩みや目指しているメンター像について語っていただきました。

なぜメンターになられたのでしょうか?

私は、夫とともに34年にわたり会社を経営してきました。いろいろな人に助けていただきながらここまでやってこられたと思っています。これからはそのご恩を返していきたい、少しでも社会貢献をしていきたいと思い、メンターに応募しました。

また、私には子どもがいません。だからこそライフワークとして、海外からのホームステイ希望者を積極的に受け入れたりしてきたのですが、メンターとしての活動も、私の人生にとって学びが多い活動になると思っています。

乗り越えられない困難はない

nobuさんがこれまで悩んできたことを教えてください。

夫と私はもともと同じ商社に勤務していて、結婚をしたのですが、「結婚したら同じ会社で働いてはいけない」という規則があったので、私が会社を辞めました。東京生まれ東京育ちの24歳だった私は、夫の転勤についていき、関西へ。全く知り合いのいない新しい地域で、結婚生活をスタートさせるのは、まさに“冒険”でしたね。

そうして、前の会社でお取引のあった方からのお声がけなどがあり、夫とともに、カーテン生地やソファーにつかう生地などインテリア関連の専門商社を立ち上げました。1989年のことです。

会社員のときは、正直、いろいろな国のビジネスパートナーとそこまで深くお付き合いすることはありませんでしたが、自分たちで会社を始めるとなると、それぞれの国の特徴や考え方、仕事のやり方などを知って、理解して、相手に合わせたり、こちらの要望をお伝えしたりして、深い関係を築くことが必要になってきます。そうした関係性の構築に、最初は戸惑いましたし、やはり時間がかかりました。もっと英語以外の語学も磨いておけばと後悔もしています。

また、会社を始めて10年ぐらいは夫との関係性にも悩みました。ビジネスをするパートナーなのに、「言わなくても分かるだろう」と思ってコミュニケーションを十分にとらなかったり、私がついついビジネスに口を出して言い過ぎたり。これが全くの赤の他人だったら違う言い方を試みたり、いろいろな方法で理解をしてもらおうと努力をしたりしただろうと思うのですが、やはり夫婦という“甘え”がどこかにあったのだと思います。

社長は夫、私は一社員。そう立場を明確にして、割り切るようになってからは、関係も良好になったように思います。

私は幼い頃から「乗り越えられない困難はない」などと両親に教えられてきました。それらの教えが私の考え方や価値観の根本にあり、くじけそうになったときに何度も支えてくれました。ビジネスを進めるには、いくつもの壁を乗り越えなければいけませんが、「問題が起きても絶対に何とかなる」と思い続けて、なんとかここまでやってこられたのかなと。そんな風に感じます。

年の功を発揮しながら、私も学びを深めたい

ご自身の経験をどうメンターとして生かしていきたいと思いますか?

みなさんのご相談を拝見していると、年代によって悩みの表現が違うことに気づかされます。

例えば、20代の方々は、自分中心の考え方の方が多く「自分はこれだけやっているのに、周りから理解されない」というような悩みをよく見かけます。若いからこそ自分中心になる気持ちは十分分かるのですが、もう少しだけ視座を高くしたり、協調性を発揮したりすれば、意外とスムーズに物事は進むのではないでしょうか。

また、みなさんのご相談を拝見しながら、相談できる人が身近にいらっしゃらない方々が多くいることを知りました。そういう頼る相手がいない方々にとって、やはりメンターはとても大事な存在になり得ますよね。

60代ということで年の功を発揮しながら、みなさんの悩みに寄り添い、私自身の学びも深めることができればいいなと思います。